『アメリカン・スナイパー』

『アメリカン・スナイパー』見てきた。

 

感想を上手くまとめきれていない状態で、思ったことを羅列していく。

 

感想を上手くまとめきれていない。というのも、本作はクリント・イーストウッドが観客にどう感じて欲しいか、自身がどう伝えたいか、が極端に省かれていると思う。事実(一部脚色はあるが)を淡々と提示していき、観客に考えさせる部類の作品。だけど大抵はヒントや監督が伝えたいモノが隠されているものだけど、それが本作には一切ない。

 

強いて言うなら、

"戦場に行ったことが無い人間にはわからない"

"戦争で人を殺したことが無い人間は戦争が何たるかをわかってはいけない"

という事かなと解釈。

 

同じく戦争映画の『ブラックホークダウン』のエンディングでフートが言うセリフにもあるが、

 

「国に帰れば、こう訊かれる
『おい、フート、何故戦う?何のために?もしかして戦争中毒なのか?』 
だが、オレは何も応えない。何故か?
どうせ奴らには解らないからさ。
仲間のために戦うってことがな。
それだけ……それだけなんだ。 」

 

わからないんだと思う。寧ろ、わかった気になってはいけないのかな、とも。

 

アメリカ本国ではマイケル・ムーアセス・ローゲンが公の場で批判したり、それに著名人が応酬したりと物議を醸し、炎上マーケティングで大ヒットを記録している。実際に見てみると、上で書いたとおりに、作品自体にメッセージ性は無く、淡々と提示していくだけで、とてもフェアな印象を受けた。

 

事実だけを淡々と描いていると書くとドキュメンタリー的かというとそうでも無く、とても物語的だった。原作ではあまり言及されていない、敵スナイパーにフォーカスをあてた事が大きいと思う。クリス・カイルと同様に凄腕のスナイパーで、同じく味方を助けることに力を尽くし、家族との場面もある。クリス・カイルは相手を"蛮人"と呼ぶが、自らと何ら変わらないのである。こうした敵視点も描く事で、原作から大きな改変を加えずに物語的にするのは、クリント・イーストウッド監督さすが。

 

戦争映画としてはどうか、を考えると、本作は予算もそれほど無く、まともなリハーサルもせずに照明なども使用せずに自然光で1,2カットで撮り終える手法からか、『ブラックホークダウン』や『ハートロッカー』、『ゼロ・ダーク・サーティ』などリアルを追求した大作に比べると見劣りする。

SEALsの訓練シーンも『ローン・サバイバー』や近年出回っているドキュメンタリー映像と比べると物足りなさを感じた。

ターヤが出産したシーンで、子供を抱くシーンがあるのだけど明らかに人形というのもあった。(実際は赤ちゃんを準備していたが、当日に撮影できなくなったから人形に変わったそう。)ディテールにはあまり拘らず、「細かいことは良いんだよ!」的な、クリント・イーストウッド監督らしいっちゃらしいけど。

 

それでも、短いながらも終盤の砂嵐の中の戦闘シークエンスは見事だった。

 

そんな感じ。また思うことがあれば追記していこうかなと思います。